雑記

【制御できていますか?】豊かさと地位とは「人類の性欲」 あなたは人か獣か

「儲ける事の何が悪い?」この言葉を「現代語訳 論語と算盤 (ちくま新書)」を軸に見ていきます。

「老後2000万円問題」が勃発してはや数年。

若者の中には資産形成への道のりを歩みだした人も多いのではないでしょうか。

または、まだまだ学生の諸君も、社会に出てからの生活に不安を抱えているでしょう。

 

そんな中で、「いやいや自分は大きく稼いで豊かになって見せる!」と気炎を吐く方もいらっしゃるでしょう。

もしくはひとかどの地位につきリーダーシップを発揮なさる人もいます。

 

大いに結構なことで、私も豊かな人生を目指す仲間として応援したいと思いますし、大きく稼ぎたいとも思います。

 

さて、ここで一つ皆さんにお尋ねします。

 

皆さんは、お金持ちになることについて、もしくは豊かさや地位について、どのような教えを得てきましたか?

 

私の家では、お金持ちになる事は特別良いとも悪いとも言われませんでした。

しかし、「お金を持ちすぎると不幸になる」と母親から伝えられてきました。

 

その中でよく例として挙げられたのは、宝くじに当選した人間が破産してしまう事があるという内容です。

 

自分の器以上のお金を持つことで不幸になる、つまりはこういう事ですね。

世間では「お金は汚い」とか「お金の話は下世話だ」と忌避されている事も、また事実です。

競争の道徳

日本社会は資本主義の元、成立しています。

資本主義は健全な競争が生まれる事で発展していき、富を増やしていく社会構造です。

「論語と算盤」の著者である渋沢栄一は競争にも道徳があると語っています。

 

この「競争の道徳」には善悪があります。

善なる競争は例えば、早寝早起きをし、勉学に励み、工夫を怠らない、そういう競争です。

悪なる競争は例えば、人を騙し、裏をかき、他人を妨害し、自分が勝てば他は知らぬという精神で行われる競争です。

 

世間で、「お金は汚い」とか「お金の話は下世話だ」と忌避される原因は、この悪なる競争が原因だと思います。

 

最近でいうならば、悪質な転売業者がこれにあたります。

必要とされる物資を必要以上に買い込み、適正価格以上の高値で売り払う。

本当に必要としていた人には届かず、資金力がある人間だけが買える。

 

こうした事が蔓延したなら、当然、お金持ちに好印象は生まれません。

悪質な手段で儲けた転売業者と、それを買ったお金持ちはセットで恨まれます。

 

本当なら「善なる競争」を経てお金持ちになった者も数多くいるし、なんならそういう人物は社会への寄付も莫大に行っているにも関わらず、悪い風評は絶えません。

 

最近買った「昔は勇者で今は骨」という漫画で、とある村長がこう述べていました。

 

「人は善なるがゆえ、悪所を見る時は細く鋭くなるものです」

私もこのセリフには賛成です。

人は善だからこそ、悪いところが目立つとそこにどうしても目が行ってしまう。

一つを抜き出して、それが全てだと錯覚してしまう。

 

見るべきは「悪なる競争」だけです。

 

これを行うにはやはり道徳が必要になります。

何が善となり悪となるのか。

 

私たちも意識して悪を避けなければなりません。

 

儲ける事の何が悪い?

 

こういう事を述べていると必ずでる言葉があります。

 

「儲ける事、偉くなる事の何が悪い?」

 

なるほど結構なことだ、と私は思います。

その上で、渋沢栄一の言葉をどうしても思い出してしまいます。

彼は「論語と算盤」のなかでこう述べました。

 

「豊かさと地位とは「人類の性欲」とでもいうべきもの」

 

なるほど確かに、儲けたい、偉くなりたいという気持ちは、内から湧き上がる強い欲求です。

性欲にも似た欲求だと思います。

 

では改めて先ほどのセリフを見直してみましょう。

 

「儲ける事、偉くなる事の何が悪い?」

 

もはや聞き飽きたセリフが私にはこう見えます。

 

「性欲に夢中になって何が悪い?」

 

こうしてみると、その情けなさは一目瞭然です。

なるほど結構なことだ、とやはりそう思ってしまいます。

 

こうした「豊かさと地位」を「人類の性欲」と捉える事で見えてくるものがあります。

 

このような欲求を制御するためには「愛と理性」が必要不可欠であるという事です。

 

「愛と理性」が無ければ獣と同じです。

もっと、もっとと求めるばかりの人間をどうして愛することが出来るでしょうか。

品性を磨き上げ、道徳心をもって事にあたれば、誰にも恥ずることのない立派な人間になれます。

 

自分の利益だけを追い続けることは、最終的に人から欲しいものを奪わなくては満足できなくなってしまいます。

 

私は人の本性は善であると信じています。

 

しかし、こうした道に落ちてしまうと戻るのは容易ではありません。

 

私も豊かさを求める一人の人間です。

独りよがりの性欲に溺れぬよう、できる事は道徳を身に着ける事だけです。

道徳とは一朝一夕で得られるものではありませんが、道徳の時間だ!とまとめて勉強できる事でもありません。

 

結局のところ、日々の生活の中で知情意を育み、常識を身に着けるほかないのです。

「知情意」について知りたい人はこちら

情報化社会が加速度的に成長してきた世の中で、優先して身に着けるべき能力とは?

これを怠らずにやってのけ、豊かさを得られたならばこれ以上の事はないと、私は思います。