朝、アラームで目が覚めて布団から出る前から憂鬱な気分。
「……なんか今日、学校行きたくないな」
こう思った事のある人に向けた記事です。
学校に行きたくない どうすれば?
大人や教師はなにかと「休まずに学校に行きなさい」とか「1日休めば取り戻すのに3日かかる」とか言ってきます。
「学生のうちは若いんだから大丈夫でしょ」と、若さを印籠の様に掲げられることもしばしばです。
結論から言います。
休みましょう。
学生だって大変なんですよ。
朝早くに起きて8時過ぎまでに登校。
12時まで授業で4~50分を4セット一生懸命頭使って、その間、休憩10分。
昼休憩は1時間弱。
その後16時くらいまで授業。
授業が終われば部活orアルバイト、塾に通う人も多いでしょう。
ご飯食べて風呂に入って、宿題を行う。
週5で通って、土日休み。
この休みの間、宿題を出され、部活も行う。
もう大変ですよ。
これを高校生までなら、18歳までやり続けないといけないなんて。
そりゃ疲れちゃいます。若さなんて関係ありません。
疲れます。
大人なら有給休暇があって、制度をちゃんと活用できるのなら、休みたいタイミングで休めます。学生だってたまには休んでもいいんですよ。
少しリフレッシュすれば自然と活力が漲ってきます。
そうしたタイミングで学校へ行くとまた新鮮な日々を過ごせるはずです。
しかしながら、逆境に立たされ思うように動けなくなってしまう事もあるでしょう。
私が愛読する「論語と算盤」という本には逆境について2つあると述べています。
1つ目は「人にはどうしようもない逆境」。
2つ目は「人の作った逆境」。
順番に見ていきましょう。
「人にはどうしようもない逆境」について
「人にはどうしようもない逆境」とは、
例えば、順風満帆に勉学に励み、部活動に勤しんでいても、突然の窮地に立たされることはあります。クラス替えによる人間関係の変化や、部活への新規部員の確保がうまくいかず試合に出られない、親族との別れ、それによる経済環境の変化、親の転勤による転校など、様々。
そうした中で社会と自分との折り合いをつけられず、日常への一歩を踏み出せなくなることもあるでしょう。
「論語と算盤」の中で、渋沢栄一は「人にはどうしようもない逆境」を「人の真価が試される機会」だと述べています。
これは「逆境に立ち向かえ!」と発破をかけているのではありません。
むしろ逆で、「どんなに頭を悩ませても運命であるならば仕方ない」と、現状を受け入れる事。一種の諦めに至れば、心の平静さを保つことが出来る、そう述べています。
例えば、クラス替えで仲のいい友人と離れてしまったとしても、自分の力で他のクラスへ移る事は困難です。どんなに頭を悩ませても解決できないならば、仕方なしと運命を受け入れ、くじけずにコツコツと学業に勤しむのが良いのです。
もちろん、そう簡単に受け入れられれば苦労はありません。
幕末から明治維新を駆け抜け、大正・昭和と生き、艱難辛苦を乗り切った渋沢栄一だから達した境地だと言われればそうかもしれません。
しかしながら、渋沢も最初からこのような境地に達したわけではないのです。
私たちと同じく、多くの逆境に立たされてきた。
そして、その時できる事に努めてきた。
それだけの事なんです。
逆境はいずれ超えられます。
大事なのはその時まで腐らず、前を向く事です。
「人の作った逆境」について
では「人の作った逆境」とはどういうものか。
例えば、口論による人間関係の悪化、怠慢による成績の悪化、素行不良による社会的地位の悪化など、振り返ると自分自身の行ってきたことの結果起こされる逆境です。
これはもう、とにかく自分を反省し改めるほかありません。
こうした「人の作った逆境」は、本気で励めばどうにかなるものがほとんどだと、渋沢は述べています。
まとめ
疲れたなら休む。それは誰にだって必要な事です。
しかし、動けなくなったならばまず、自分の立たされている逆境を見つめなおしましょう。
それは「人にはどうしようもない逆境」か「人の作った逆境」か。
一生懸命に己に向き合っていれば「人の作った逆境」は起こりにくく、また、起こったとしても解決できます。
何かしらの要因で「人にはどうしようもない逆境」に陥ったとしても、腐らずに「今できる事をコツコツと」行っていけば、いずれ逆境を抜け出すことができます。